ブリュッセル プッチーニ終焉の地
古今のメロディー作り名人御三家は、俗に3Pなどと言われておりますな。
ピヨートル・チャイコフスキーとポール・マッカートニーとプッチーニ。
まあ私が言っているだけで、俗にはたぶん言われていません。
苗字がPなのはプッチーニだけだし。
でも本当に3人共、つくづくメロディー名人だと感心しますね。
さて、こちらに来るまで知らなかったんですが、プッチーニはブリュッセルで
亡くなっております。
1924年11月29日、喉頭癌の放射線治療中に合併症。享年65。
当時最先端治療だった放射線治療はブリュッセルでしかできなかったんですと。
その病院あとが、ここ↓(Ave de la Couronne 1)。銘板が掲げられております。
現在はアパート。建物はそのままなのかどうかよくわかりませんが、
シャッターの落書きからもお分かりのとおり、あまり雰囲気のいい
場所じゃあございません。
どうせならこんなところで客死するんじゃなくて、住み慣れた風光明媚な
トッレ・デル・ラーゴの自宅↓で往生したかったでしょうにねえ。
さらには無理にブリュッセルまで来て治療をしなければ、未完に終わって
しまった最後のオペラ、トゥーランドットも自分で完成できたかもだ。